初めまして 髙橋絵麻と言います。
今期からこちらでコラムを書かせていただくことになりました!
現在乳がん治療中です。
ここでは私が告知されてから、今のように振り切れてしまうまでを笑、
ゆるりと書いていきたいと思います。
(ご興味おありの方はFacebookで検索していただけると嬉しいです♪)
福井県でヨガインストラクターをして9年目。
愛する主人と可愛い娘2人、主人の両親との6人暮らし。
海が好き。空が好き。自然が好き。
表現すること、身体を動かすことが好き。
飼ってないけど大型犬が好き。
心地良い音楽や空間で、五感をたっぷり味わいたい。
好奇心旺盛だし、まずは色々試したい。
いろんな自分を見ていきたい。
わかった上で前にいきたい。
どんどん自分をほどいていったから、
私はいまの自分が大好き!
今の私はこんな感じですが、がんと告知されるまでは色々しくじっていたし、
自分で自分を縛っていました。
いきなり目の前に死というものがやってきて、自分の在り方とじっくり向き合ったら
病気の自分を受け入れるだけじゃなく、生きている いま がどんどんキラキラしてきたんです。
だから、がんになって良かったと心から思っています。
そのプロセスは追々書くとして笑、まずは私の乳がん体験を書いていきたいと思います。
昨年の4月下旬。次女がお腹にいる臨月の時に右のおっぱいがチクチクして痛くなった。
乳腺炎に似てるけど、身体がだるい感じじゃないしなんだろう?
そう思って産科でエコーをかけてもらった。
「乳腺炎と乳がんと区別が付きません。」
予想外の乳がんという言葉にぽかーんとなったけど、
先生も多分大丈夫でしょうと言ってくれたし、その言葉を信じることにした。
(後で考えるとただただ本当のことを知るのが怖かった。ただそれだけだ。)
産んでからすぐ、右のおっぱいから血乳が出始めた。
長女の時はそんなことなかったのにな。
乳がんという言葉がすぐに頭をよぎった。
調べたら片側からの異常分泌は乳がんのサインと書いてあった。
でも、おっぱいは血液から造られる。乳管が発達してない場合は血が出ることもある。
産科の先生からは「様子を見ましょう」と言われて、私はすぐに血が止まることを祈っていた。
でも、血が止まることはなかった。
入院中、搾乳したおっぱいには血が混じったり混じらなかったり。
先生もあまり大事だぞという雰囲気でもなかったから、多分大丈夫じゃない?と思っていた。
血乳を飲ませても大丈夫。調べたネットの情報にはそう書いてあったし、
私は5年ぶりの新生児育児にてんてこ舞いだった。
3ヶ月後、次女が吐いた母乳に血が混じっていた。
お風呂で絞っても血が出るのは止まらなかったし、
やっぱりちゃんと見てもらおうと覚悟を決めた。
産んだ産科ではまた「大丈夫じゃないですか?」という声が出たけど、
私は粘って大きな病院へ紹介状を書いてもらった。
母乳で育ててるし、検査の時間どれだけかかるかな。。。
お義母さん働いてるし、まだ3ヶ月の子を誰に預けたらいいんだろう。。。
良性の場合もあるだろうし、私は大丈夫だろう!
いろんな気持ちがごちゃ混ぜで検査を受けた。
エコー、マンモグラフィー、マンモトーム生検。
検査してくれた先生はすごく感じの良い方で、
検査中も息子さんのことや世間話などで私をリラックスさせてくれた。
大型連休を挟んで結果は2週間後。
2週間。大丈夫だろうとやっぱりダメかもの間を行ったりきたりして、
既に感情は大忙しだった。
娘達を寝かしつけてからネットで調べては主人にあれこれ報告して。
主人は「大丈夫じゃない?」と言ってくれていて、多分そう言うしかなかったんだろうな。
検査結果を聞きに行く当日。
もうなるようにしかならないと肚ををくくって、私は3ヶ月の次女を抱っこして病院に向かった。
穏やかな顔つきに感じていた先生のお顔は、この日はちょっと様子が違った。
「お母さん、残念です。」
その言葉で私は、自分が乳がんなんだなと悟った。(つづく)

福井県在住。
玉川大学文学部演劇舞踊専攻卒業。
2008年よりヨガスタジオ柳田でヨガ指導を開始。
2015年10月、右乳癌ステージ3aと告知を受け治療を始める。
今夏よりスタジオ所属から離れ、ピンクリボン活動等、活躍の場を拡大中。