前回からヨガという名の恋に目覚めた方への愛のレッスンとしてこのエッセイを始めましたが、特にここではアーサナという身体的セックス抜きに、ヨガとの恋愛的繋がりを保つ秘訣を説き明かしたいと思います。
2回目の今回は言葉責め。ではなく囁き。それはヨガにおいてはマントラ=真言、わかりやすく言うとこのお経となります。
以前、ある人が毎朝の日課だといって20回シバのマントラを唱えてるのをみかけました。
しかしこれはあまり意味がある行為ではありません。
きっと彼は20回のマントラのチャンティングを終えると朝ごはんに何たべようか?とあらたなマントラを内心唱えだしたことでしょう。
人の顕現の側面とは身体的な面と声や言葉の次元、そして意識や気持ちの次元で構成されてます。
そのうち声と言葉の次元の顕れは全てマントラです。
恋人に会いたいマントラ、上司にむかつくマントラ、ポルシェが欲しいマントラ。
そんなあらゆるマントラを一つのマントラに集約するのがマントラヤーナ=真言乗のプラクティスです。
つまりあなたがシバを信仰対象にするなら、「オームナマシバヤ」と20回どころか寝ても覚めても一日中3000も4000回も唱えねばなりません。
そのシステムや効用をあれやこれや考える前に体験するために師によって弟子に課される回数の一般的基本単位は10万回です。いきなりネタばらししますが、10万という回数には根拠も何も実はないのですが、先に述べたように全ての言葉を一つに集約する習慣をつけるための方便の回数です。10万回の成就を真摯に目指すと一日中唱えてる事に気づくでしょう。
言葉とは大切なもので、人のほとんどの悩みは人間関係に根差し、その関係は会話に根差し、外なる会話は全て思考という内なる会話に根差しています。
“はじめに言葉ありき“と聖書にあります。
外なる会話を制すると嫌な上司を御すことができ、内なる会話を制すると全宇宙をコントロールできます。
しかしマントラのプラクティスについて耳にしたとき、まっさきに浮かぶ疑問はこんな感じです。“そんな時間はない。そんな事してて仕事や勉強ができるわけない。“と。
果たしてそうでしょうか?そんな疑問は広義のヨガのビギナー。つまり心を見つめだした人には自ずと解消されだすはず。なぜなら自心の観察になれてきた人はいかに心とやらが日がな無意味な内的呟きに満ちているかを知りだすからです。
一説には人間の思考は95%が以前の内容の反復で過去に根ざしているそうです。
むしろそれだけの無駄な思考に浸りながら車の運転やら確定申告やらができる我等凡人の能力にこそ感嘆すべきです。
マントラプラクティスが習慣化するとむしろあらゆる行為がスムーズに流れだす事に気づき、複雑な問題解決などにも直感的に導かれる事に気づくでしょう。
アーサナが出来なくなった、やりたくなくなったに関わらず、エネルギー的清浄さをキープしたい人にも有効です。アーサナとは私見(控え目にそう表現しましたが真実です)としては性的バイブレーション、それも脳内の言葉の呟き以上に微細で絶え間ない欲求のエネルギーが脳の識別作用と手を組んで下半身に滞留するエネルギーを浄化する事です。しかしセックスレスまたは遠距離恋愛のカップルが愛の囁きにより繋がり続けるように。アーサナを日々行じなくても、むしろマントラは自分と異性という絶え間なく自他と左右の脳を往復する神経エネルギーを一つの真言に集約する作用があります。
アーサナからマントラプラクティスに移行すると、それまで肉体により肉体的エネルギーを制御してた事から肉体的エネルギーは思考によりコントロールできる事に気づきだし、必然的に肉体への執着が薄まりだすでしょう。
喩えるなら好きな物事への強いフィーリングが浮かぶや否や直ぐに私とそれとに二分化されて巻き込まれていっていた思考と感情が、強いフィーリングが起こっても誰が?何に?という瞬時の疑問と同時に水に書いた文字が消え行くように、宛先のない手紙が戻ってくるようにエネルギーがエネルギーの出所にもどって行き、感情や思考が巻き込まれなくなるのです。
科学的にはそんな“私“とは毎秒70回認識されているそうですが高速で回転するマントラの潜在的スピードがそれを越えると思考がかき消されていきます。
日本の中世には妙好人と呼ばれる人達がいました。彼等はなんら専門的学問どころか字もかけなかったりする市井の農民や職人でしたが一心に南無阿弥陀仏を唱えることで意識の本源へと覚醒し、行きながらに成仏していきました。
チベットにはそのような意識の本質への帰依心が全人類への恋愛感情=慈悲へと変質し生涯をマントラに捧げる女性がいます。生涯捧げるとは布施のみにより生き、布施を受け取る小さな引き戸がある小屋に住まい生活の朝から就寝までの全てと睡眠時の夢の時間の全てをマントラに捧げています。マントラとは本来は師に授けられるべきとされますが現代社会で真性の師(ヨガアーサナの先生という意味ではありません。)に出会うのは難しいので彼女が生涯唱えているマントラをここに書いておきます。
OM MANI PADME HUM (オーム マニ ペメ フム)
これはRAGE AGAINST MACHINEというバンドのジャケットで有名な、ベトナム戦争中に仏教の弾圧に抗議して焼身自殺した僧侶が燃えながら唱えていたのと同じマントラです。(写真(上)は燃える僧侶と、写真(下)は亡くなった後の消化後)
心の中の宝のような花という意味ですが、かの僧侶の黒こげの死体の心臓はダイアモンドのように結晶化され、今なお保存されているそうです。
随分遠大なお話になりましたが、あなたも現代の妙好人を目指して仕事の事務作業中や家事に勤しみながらこのマントラを唱えてみてはいかがでしょう?
ヨガアーサナができなくてもあなたが恋したヨガへの恋文を心中で呟いていれば決してヨガがあなたを手放すことはないでしょう。
つづく

1970年刀鍛冶の末裔として生まれる。
96年セントマーチン美術学校大学院生修士課程修了(ファッション、ウィメンズウェアーデザイン)
翌年ロンドンコレクションデビュー。タケオキクチのディレクター等を経て現在はビスポークテーラー。
元アシュタンギ、チベット仏教ニンマ派とゲルク派の各々の師に師事。
サーファー。