ヨガの実習には、静かで平坦、十分な空間があり、換気の良い場所が望ましいと言います。
田舎の地には、そんな穏やかな環境がたくさんあると思います。
長野の家は、平屋の木造家屋、築約70年。 国の文化財登録制度では、築50年を経過したものを古民家というそうです。
ということは、うちも一応「古民家」でしょうか。
この古い民家でリトリートを開催するには、家の大掃除、古い箇所の修理が必要となりました。
また長野は関東と比べると気候が違うため、家の扱いも多少ケアが必要です。
そうこうする中で、町の人と接する機会が増え、徐々にこの地域の時間の流れや雰囲気というものも知るようにもなりました。
冬の凍結をナメてはいけないという教訓!
家をしばらく不在にする時は、止水栓を締め、水道を止めておりました。 まだ寒さが残る今年の冬。
久しぶりに長野の家に行った時のこと。着いてまず、止水栓のネジを一捻り。するとどうでしょう。
家の奥から、激しい水が流れる音が響いてくるではないですか。はて?と恐る恐る、音がする裏庭へ向かいました。
見ると、そこには滝がある。
“ナイアガラの滝”のごとく大量の水が、割れた水道管から止めどなく流れ、庭中を水で埋めつくしそうな勢いです。
・・・・。 呆然としつつも、耳を澄ますと何やら他の場所からも、水の音がする。風呂場室内を見ると、シャワーヘッドからも、しと、しと、っと滴る水。
ふっと振り返ると、キッチン下からも滴る水の音。その日だけでも風呂場、キッチン、トイレ、とあちこちから水漏れ大発生です。
水漏れの原因は、寒い地域特有の水道管の凍結でした。水は液体から固体になると体積が増える性質を持っているため水道管が凍結によって破裂してしまうことがあります。
うちはそれに加え、水量を調節するパッキン等も古く、しばらく使わなかったことでそのパッキンが乾燥し、破損して水漏れを起こしたようです。
数ヶ月の間、人の出入りが無かったことは、この家の70年間で初めてのこと。水が常に使われていれば、ここまではならなかったそうです。
「人が住まない家は痛みが早い(特に水周り)」と言いますが、これは、やはり事実であるようでした。
夏は涼しく、冬は暖かい。寝転べば心地よく、畳はヨガをするのにもってこいです。
地元密着。その地の時間の流れを理解する!
「ここの田舎の人は、時間が早い。油断するべし気をつけよ」。
これは我が家の家訓であるかのように、この地で育った父からずっと聞き続けていたことです。
この地域の人は、本当にやたらと時間に早い。予定の時間より30分、いや、それ以上早く来ます。だから油断すると、とても焦ります。
例えば、修理を地元の業者にお願いをしたのですが、「明日は10時に来るよ」といわれれば、9時〜9時半には来ます。
「明日は朝、早く来るよ!」と言われれば、翌日、来てくれたのは、朝6時半。
本当に早い。いや、むしろ早過ぎる。
かといえば、スローペースな部分もあって、「社長が家族でお出かけしていて、鍵がなくて事務所に入れない。工具を取ってこれないから修理の続きは、明日でもいいかね?」ということもありましたし、
「ちょっと部品を買いに行ってくるね」と修理の途中でホームセンターや隣町まで買い出しに行くことも度々。(しばらくすると、いつの間にか戻っていて修理を再開しているという、家の出入りも自由なフリースタイル。)
形にとらわれない、自由なやり取り。“お客さん”という接し方ではあまりなく、それは修理屋さんというより、近所に住んでいる修理が得意なおじさん、という感覚です。
そんな風に距離がとても近いのは、皆さん自由なふるまいで、飾った対応をあまりしないからなのかもしれません。
この地域の人と接すると、なんだか根源的な部分で人との近さを感じることが多いように思います。
いま自分のことを省みると、私はもっと壁を作って人と接しているなぁと思って、そんな自分にちょっとがっかりしたりもするのですが、小さな出会いや経験を重ねていくことで、ささいな発見に出会うのでした。
70年分の家のメンテナンスや大掃除をしていくと、色々な物が出てきます。戦後の写真、先祖の写真、家系図、古い家具に、農具や工具など。それら一つ一つを見ていくと自分の知らない家族の歴史や自分がここに至るまでの流れを確認させられます。
うちの田舎の家では、朝起きると、仏壇、神棚に水をおき、ご飯をお供えして手を合わせることが習慣です。
以前読んだ仏教の解説本で、こんなことが書いてあったことを思い出しました。
「命とは生きている自分の生物学的な命だけではない。関係も命なのである。だから“お世話になっています”という挨拶は命の確認と感謝となる。」
他の人々がいて、この環境があって、自分は様々な関係によって成立している。もしそれらの関係がなくなれば、自分というものは何も無いのだ、といいます。
仏壇、神棚を一つの象徴として、「今日もお世話になってます」と、自然と手をあわせる習慣。そういう気持ちを心の中に残していくことで、心が少し暖かくなるような気がしています。
普段の生活だと私は色々なことを忘れてしまうけれど、田舎にいてする毎日のその習慣は、自然と素直にその気持ちを戻してくれるなぁと思うのでした。
(つづく)
最寄り駅の構内にあった広告です。近くにミスドがやってくることは、町にとっては大きなイベント。

ヨーガインストラクター。
千葉出身。留学時にヨガを知り始める。TOKYOYOGA青山、UTL、イベント等でクラスやWS、TTを担当。2016年より長野にて「山と川と温泉」ヨガリトリートを自主開催。
インドKaivalyadhama Yoga InstituteにてCCYコース修了後、古典に基づきながら行うゆっくりとしたハタヨーガのクラスを中心に行っている。