ドバイにもやっと秋がやってまいりました。 「秋は最高だよ」なんて言われ続けてきましたが、 こちらに来た時から気温は、 7月酷暑、8月ほとんどオーブンの中、9月酷暑、10月日本の夏。 そんな数ヶ月を経てやっと気温20度台なんて数字が見られるようになってきました。 辛く厳しい夏を終えて、ドバイの道路では連日渋滞が続きます。 日本人コミュニティの人を見ていてもそうですが、 暑い夏の間は自国に帰る人も多いですし、 もちろん観光客だってほとんど居ません。 夏の間は枯らしっぱなしだった緑を植え替えていたり、 ハエが飛んでいるのをよく見かけるようになったり、 犬や猫などを道で見かけるようになったり。 もちろん、人々だって家の中からビーチや公園に飛び出して、 思う存分屋外を楽しみます。 (ちなみに、5月ごろにはまた酷暑が戻ってくるのです。。とほほ) 住でいるアパートの従業員も、通っている学校の先生や友達も、口を開ければ「最高の天気だね!」とこの涼しさの喜びを分かち合うのは、あの酷暑みんなで乗り越えてきたからなんでしょう。 なんですが。 先日日本から来たばかりの日本人と話をした時に言われた衝撃の発言。 「みんな涼しいと言うけれど、暑いとしか思えない。」 そう。 とはいえ日中は34度なんて日もあるのです。 いやいや、これって日本で言ったら真夏の気温。 私たちドバイ在住の人々が涼しい涼しいと狂喜乱舞していたそれは、 日本から見たらちっとも涼しくなくて、 数字という概念は指標の一つでしかないということを思い知らされます。 結局私たちは、今までより暑いか、涼しいかで日々の天気を図っていますし、 きっとドバイで呼んでいる“冬”は気温で見たらちっとも“冬”ではないのでしょう。(羽織もの一つで十分って言いますし・・・) 東京でずっと生活をしていたら、 35度と言われれば暑いとすぐに思い浮かべ、 0度と言われれば寒いと思い浮かべられる。 どれくらいの体型をしていたら太っていて、 どれくらいの体型をしていたら痩せている。 こういう考え方をしたいたら変わっていると言われて、 こういう考え方が普通と言われる。 私もそんな指標を長い間自分の中に持ち合わせていましたし、 その指標は時にとても便利なものとなっていきます。 だけれども。 その指標は決して世界で共通するわけではなく、 別に日本が間違っているわけでもなく、 ドバイが間違っているわけでもなく。 ところ変われば指標はすぐに変わっていくのです。 ヨガの練習を続けることで自分の中の確固としたものを意識する事多いけれども、 一度気づいた自分の軸は永久に変わらないわけではないのです。 結局それだっていつだって変わり得るからこそ、 その軸は一瞬一瞬見つめ直す必要があるのかも。 ヨガをすればするほど、経験が自分の自信へと繋がると同時に自分の軸に対して頑固になる人も多いと聞きます。 真面目にやってきたからこそ、一生懸命やったからこそ、見つけた自分の確固とした軸にしがみつきたくなるのも頷けるけれど、 それを簡単に手放せる強さがその次のステップなのかもしれません。 ちなみに、外国人が多いドバイでは、自国のコミュニティにばかりいる人も多いと聞きます。(つまり、そういう体質は決して日本人だけではないのです。) それはきっと、いろいろな指標を覆されることが無く居心地が良いから。 勇気を出して一歩踏み出した時に見えた世界は、良いことばかりではないかもしれないけれど、また違った見方をできるチャンスなのかもしれません。 私ももっともっと肩の力を抜いて、目の前をフラットに見る練習を続けなくては!
ドバイ在住ヨガインストラクタードバイの秋を体験して感じた指標の無意味さ
その涼しさって本当に涼しいの?
ヨガを続ければ続けるほど頑固になる?
家族の転勤に伴い、ドバイにて生活を始める。
人口の9割は外国人、今やNYよりもインターナショナルと言われるドバ
イでヨガを通して現地の様々な宗教、慣習に触れている。
日常生活に密着したクラス展開により、日本ではTrue nature軽井沢や朝
食フェス、Dressヨガ部などのイベント出演、オフィスヨガやコラム掲載
も多く担当。
ドバイに秋がやってきました|溝畑諒子のヨガライフinドバイ(5)
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