日本にいれば「師走」という言葉が頭を支配する今日この頃。 ドバイはというと、クリスマス真っ盛り。 モールの中では豪華なクリスマスのデコレーションがなされ、 週末になればクリスマスマーケットが開催されます。 イスラム教国家のこのアラブ首長国連邦はイスラム法に則った法律がある為、 休日は宗教に関する休日しかなかったり、結婚をしていない男女が一緒に住むのは禁止だったり、アルコールや豚は許可された人しか販売してはいけなかったり・・・生活する上でのルールは全てイスラム教のルールに従っています。 ですが、外国人が多く住むドバイは他宗教のカルチャーにかなり寛容です。 法律上も、もちろんイスラム教を冒涜するような行為は禁止されているものの、他宗教の信仰は禁止されていません。 従って、キリスト教のお祝いであるクリスマスも、少なくともここドバイではかなりの盛り上がりを見せているのです。(外国人があまり住んでいない他首長国ではまた状況は違うとは思います。) ちなみに、ヒンドゥー教のお祝い、10月—11月頃に行われるディワリもクリスマス程ではありませんでしたがモールによってはイベントを開催していたようです。 国として強い力を持っている宗教が無い日本で育った私にとって、他宗教同士の人がどのように生活しているのか全く想像がつかなかったのですが、 少なくともここドバイでは各宗教がお互いをリスペクトしながら存在し合っているように思えます。 ここで出来た様々な国から来た友人たちに話を聞いても各国クリスマスへの対応はそれぞれです。 当然ながらキリスト教が多い欧米諸国のクリスマスは本当に華やか。 クリスマスは家族が集まる大事な日なので、クリスマス前に国に帰る人もたくさんクリスマスのギフトや食事、遊びなどたくさんの伝統があります。 イスラム教国家であるトルコではクリスマスに決まったお祝いは無いけれども、最近の若い世代のカルチャーはクリスマスの夜に集まってみんなで“VICTRIA SEACRET”のショーを見るのが定番なんだそう。 じゃあ、日本は・・・?と聞かれると、どちらかと言うと家族の日いうより恋人たちの日。若い時はクリスマスに恋人がいないとなるとなんとなく焦ったりもしたものだよ、なんて言うと欧米から来た友人達には笑われました。(笑) そういわれてみれば、日本でのクリスマスは本来のクリスマスからの意味はかけ離れ、なんだかとっても商業的。 ですが、その後すぐに訪れるお正月こそが日本人にとっては家族の日ですし、 別にキリスト教国家では無い日本が本来のクリスマスのお祝いをする必要はないので、別にこの商業的なクリスマスでなんの問題もありません。 私たちはクリスマスと言う名目を元にプレゼントを交換し、豪華な食事を楽しみます。 その国が持つバックグラウンドが違えば、その意味合いは変わってくるものなのです。 それに対して「本当はこうなのに」と叫ぶよりも、何故そうなったのか、と各文化によって変化していった背景を知ろうとすることの方がよっぽど見方を広げてくれるものです。 目の前に広がることに対して、「知った気」になっていたこと。 「それが正解」だと思っていたこと。 「みんなもそうだからそうだ」と思っていたこと。 そういえば昔ピンチャマユーラアーサナを一生懸命練習していた私に対して家族は「それが出来るようになってどうなるの?」と聞いて来ました。 その時とっさに答えることはできなかったけれど、 今まで出来なかった、知らなかったことをすることで確実に目の前の視点は変わっていきます。 今まで見えていた景色もまた違ったものになり、見えなかったものも見えてくる。今までの自分で満足をせず、知っている知識にあぐらをかかず、常に目の前に訪れたことを学んでいくこと。 それがヨガの練習を続けることで身につけた自分の人生との向き合い方。 ドバイにきて様々なカルチャーに触れることを心から楽しめているのはマットの上のヨガの練習が私の人生に生きている証! ドバイ在住ヨガインストラクタードバイのクリスマスへの向き合い方を通して気づいた自分のあり方
日本に居た時には気づけなかったこと
自分と違う価値観とどう向き合う?
知らないことを知ろうとすること
家族の転勤に伴い、ドバイにて生活を始める。
人口の9割は外国人、今やNYよりもインターナショナルと言われるドバ
イでヨガを通して現地の様々な宗教、慣習に触れている。
日常生活に密着したクラス展開により、日本ではTrue nature軽井沢や朝
食フェス、Dressヨガ部などのイベント出演、オフィスヨガやコラム掲載
も多く担当。
ドバイのクリスマスとは|溝畑諒子のヨガライフinドバイ(6)
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