2.メメントモリ死を思うこと|ミッチ アルボム「モリー先生との火曜日」 3. あるミニマリストの物語|ジョシュア・フィールズ・ミルバーン「僕が余分なものを捨て人生を取り戻すまで」 4.ヨガを通じてなりたい自分になる|服部みれい「わたしらしく働く!」 5. 仕事術としてのセルフケア|松浦弥太郎「松浦弥太郎の仕事術」 6.ありふれた日常に目を見張る力|高山 なおみ「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。」 7.生命力を高める知識(アーユルヴェーダ)の実践|服部みれい「私が輝くオージャスの秘密」
「私たちは生きて、学んで、教え合う。これって素敵なことじゃない?」 キャスリーン フリン ライター ジャーナリスト 料理講師
僕たちの身体は食べものから出来ています。
ヨガやアーユルヴェーダでは僕たちの身体をより微細なレベルでとらえていて5つの層から成り立っているのだと教えています。(パンチャ コーシャ/5つの鞘)この骨と筋肉からなる僕たちの身体は一番目の層であり、粗大な身体とされています。この層のことをサンスクリット語ではコーシャ(鞘)といい、一番目の層は「アンナンマヤ コーシャ」と言います。「アンナン」という言葉には「食べ物」という意味があり、「マヤ」という言葉が変化したものという意味なので、食べ物が変化したものが身体ということなのですね。「アンナン」には「捕食されるもの」という意味もあるので、僕たちの魂が肉体を離れた際に肉体が土にかえり、他の生物の滋養となることが暗示されているのでしょう。そしてアーユルヴェーダでは未病を防ぐことに力をいれていて、毎日なにをどう食べるのかを選択することの指導に重きがおかれています。
しかし、僕たちの身体が食べものから出来ているという、このシンプルな事実を本当に受け入れ、意識的に食べ物や調理法を選択している人がいったいどれ位いるのでしょうか?
「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」と題されたノンフィクション作品は、境遇はまったく異なるが、料理ができないと思い込んでいるがために自信を無くしてしまっている10人の女性たちが、全10回の料理レッスンを通じて変わっていく、その様子が臨場感あふれる描写で表現されています。それぞれの実在する登場人物は様々な問題を抱えていて、マーガリン依存症、セレブなのに日本のカレールーで作ったカレーをわが子に食べさせ続ける、夫が料理上手で劣等感を感じている、元夫と一緒に買った七面鳥を冷凍したまま4年保存して捨てられない、等々。「ダメ女」というよりは「食」ということに関して無頓着であり、改善したいけれどやり方がわからない、無知な状態なのだと思いました。さらに、登場人物の人々は「食」ということがままならないためか、家族間での劣等感にさいなまれていたり、なにかに中毒的になっていてやめられない、無駄に沢山買ってしまうなど、その他の生活や人生に関わる様々な面でも葛藤を抱えている様に見えます。
全10回の料理のレッスンとは、包丁の使い方や、加工品とナチュラルな調味料のテイスティングなどを通じて自炊をし、基礎力を高めることができるレッスン。肉や魚の扱い方や卵の調理法のアレンジ、こねないパンの焼き方や簡単なホイル料理など、とても実践的な内容のレッスンです。少ない買い物で沢山の料理を作ることや、残り物の再利用法などをしっかりと行うことで、なるべくゴミをださないことを提案してみます。この提案を通じて、サスティナブル(継続可能)かつ環境を配慮したライフスタイルを意識することの大切さを伝えるレッスンなど、既存の料理教室にはないクリエイティブで充実したカリキュラムは、思わず僕もキャスリーンさんのレッスンに参加したいなと思いました。特に印象的だったのが、鶏を丸ごと一羽解体するレッスンです。なぜ切り身ではなく、丸ごと一羽をさばくのかと言えば、これがかつて生き物であることを知ることで、食材としての肉を無駄にはできなくなる。その大切なことを参加者に経験から理解させるという意図が素晴らしいなと思うのです。
そもそもこの料理教室を行うことになったきっかけは、キャスリーンさんがあるスーパーで買い物している時に、冷凍食品ばかりをつぎつぎと買い物かごに入れる子連れの主婦を見かねてアドバイスした経験がアイデアとなりました。自らゲスト出演した料理のラジオ番組を通じて参加者を募り、10名の参加者の自宅に出向き、キッチンを見せてもらいながら彼女達がいつも食べている料理をキャスリーンさんの目の前で作ってもらう。そして足りない技術をレッスンの中に組む込み、全てのレッスンが終わってから参加者がその後どのように料理し、暮らしているのかを確認するという壮大なプロジェクトだったのです。
全10回のレッスンが終わり、キャスリーンさんは自分のこのプロジェクトの努力が実らず、参加者が以前と変わらないような「食」への関わり方をしていたらどうしよう、自分は良い影響を与えられたのだろうかと疑心暗鬼になりました。そうした不安を抱えながら再び彼女達のキッチンを訪ねると、多くの人がレッスンで学んだことを生かし、以前よりも自信を取り戻し、生き生きと暮らしていたのを目にしたのです。
この本の最後は、その後のキャスリーンさんの様子が描かれています。キャスリーンさんは参加者と同じくらい、あるいはそれ以上にこのプロジェクトから学び、その学びの中には本人も予期していなかった自分自身が変わって行くという過程が含まれていたようです。
「一歩引く」ことを学んだというキャスリーンさんは、このように自身のプロジェクトを締めくくっています。
「教えた人から、私たちは予期していなかった教訓を学ぶ。私たちは自分自身が誰なのか、そして人生のどのあたりにいるのかを思い出し、コースを変える為の改革が必要なのだ。
私は書いて、料理をして、人に教える事ができる。私にその情熱が詰まっていることは、私自身が良く知っている。」
ヨガに限らず人に何かを伝えるということは、自分自身が生徒を通じて学ぶことだと思っています。また講師も100%教える内容を理解しているわけではなく、教えながら学んでいるのだとも思います。僕はヨガのインストラクターを育てる講師という役割なのですが、自分が「先生」ではなく、僕自身生徒がヨガを通じて変革していく「仲介役」に徹したいと思っています。
僕自身も教えながら自分自身への理解を深め、変化を遂げようとしている毎日なのです。
メイン講師を担当させて頂いている2つのトレーニングが最近終了し、今回も沢山の事を生徒達から学ばせて頂きました。そしてまた、新しく2つのトレーニングがスタートしています。今回はどの様な学びや変化があるのか楽しみです。
数年前、意中の人に「好きな人のタイプは?」と聞いたら「一緒に食事をしていて楽しいと思える人」という意見がかえってきました。その言葉を聞いた時は肩すかしを食らった様な感覚でしたが、今はその言葉にとても共感できますし、同じ質問を受けた時には同様の回答をしています。なぜならば、食べるということは生きることであり、どんなものをどうやって食べるかは、その人のライフスタイルに反映するのですから。
以前はオーガニックな食材にこだわり宅配で食材を注文し、仕事で家を不在にすることが多いにも関わらず冷蔵庫はパンパンで使いきることができないことが多々ありました。現在はマンションの近くのスーパーでごく少量の買い物をすませ、不必要に材料を買い足すことなく、冷蔵庫にあるものでおいしい食事を作る努力をしています。
自分で料理をつくるということは自分へ必要な滋養を与えるということ、そして自分のつくった料理を大切な人へと差し出すということは、愛情表現になりうるのだと思います。料理自体は語る言葉を持たないけれど、それはコミュニケーションなのです。
この本を読み終えてから、あらためて僕の小さなキッチンにたたずみ、冷蔵庫の扉を見つめていました。「生きて、学んで、教え合う。」そんな素敵なことをこの先も続けていくために、大切な人の身体や心を癒し滋養を差し上げる為に、今日も料理をしようと思います。
2.メメントモリ死を思うこと|ミッチ アルボム「モリー先生との火曜日」 3. あるミニマリストの物語|ジョシュア・フィールズ・ミルバーン「僕が余分なものを捨て人生を取り戻すまで」 4.ヨガを通じてなりたい自分になる|服部みれい「わたしらしく働く!」 5. 仕事術としてのセルフケア|松浦弥太郎「松浦弥太郎の仕事術」 6.ありふれた日常に目を見張る力|高山 なおみ「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。」 7.生命力を高める知識(アーユルヴェーダ)の実践|服部みれい「私が輝くオージャスの秘密」

ファーストシップトータルヨガスクール・ディレクター。ヨガ指導者養成、Yamuna(R)認定プラクティショナーとして幅広く活動。アライメントを重視し、呼吸に重きを置いたフロースタイルのハタヨガを得意とする。E-RYT500。