先日ドバイに来てから約10ヶ月ぶりに日本に一時帰国をしました。 久しぶりの日本帰国前は何だかちょっぴり不安な気持ちと楽しみな気持ちが入り混じった不思議な感覚。 ドバイにすっかり慣れて楽しんでいる生活から久しぶりの東京に、どんな気持ちをもつのか自分でも分からなかったのです。 東京について最初に感じたのは、日本人がたくさんいる!ということ。 日本だから当然なのですが、案外世界他の国を見ても移民を受け入れている国が多いので、同じ人種ばかりがいる国は珍しかったり。 そしてその「人種が同じであること」が時に私たちを窮屈にさせているのではないかな?と感じました。 多種多様な人種がいる国では、その人の見た目も、言葉の訛りも、十人十色。 ですが、ほとんどみんなが同じ見た目をし、同じ言葉を話す日本はみんなが同じファッションをし、大きな流行にみんなが乗り、ほんの10日ちょっとの滞在だった私にでも、日本で何流行っているのかがすぐわかってしまうほど。 それは「人と同じである安心感」と同時に「人と同じでなくてはならないプレッッシャー」をも時に感じるほどでした。 ドバイを始め、NYやロンドン、パリ、世界の大きな都市には色々な人種がいることが多いので、もちろん似合うファッションも人それぞれ。 するとすると他人の目など気にすることなく、自分にとって心地の良い服しか着無くなります。だからこそ「私は私」という感覚が強くなるような気がします。 日本滞在中、一度少し暖かい日にシャツ一枚で出かけようとした私に 「みんなが上着を着ているのに着ないと恥ずかしくないの?」 と声をかけた母の言葉に一瞬びっくりし、ああこれが日本だったな。 実感したほどです。(結局その助言を聞かずに出たのですが。(笑) そして日本人の丁寧さにも驚かされました。 エスカレーターに乗った時に、あまり意識せずにふんわりと真ん中のラインに立っていた私はなんだか自分だけ「外れ者」のような感覚がしてはっとして立ち位置を変えた記憶があります。 エスカレーターに乗れば綺麗に整列している日本人、レストランなども基本的にはテーブルの上や食べ物を綺麗に食べる日本人。 レストランやホテルのサービスも、言葉に出す前に気づいてくれるその細やかさに感動をしました。 ですが、それが一つの基準になってしまっている日本だと、そうで無くてはいけないと思いそれがストレスになってしまう人もいるのかもしれません。 久々の日本は丁寧で秩序だっていて、とても美しい国でした。 一方でその秩序を守らなくてはいけないとプレッシャーに感じてしまうこともあったり。 日本人が日本人らしさを失う必要はありませんが、必要以上に他者を気にしすぎたり、必要以上に自分をないがしろにしすぎたり。 そんな人がもしかしたら多いのかもしれません。 だからこそ、自分と自分の内側とのバランスを、自分と他人とのバランスをとっていく練習がより日本人には大切なのかもなあと感じた今回の帰国でした。 ドバイ在住ヨガインストラクター人と同じである安心感とプレッシャー
細やかだからこそハードルの上がる「きちんとさ」
家族の転勤に伴い、ドバイにて生活を始める。
人口の9割は外国人、今やNYよりもインターナショナルと言われるドバ
イでヨガを通して現地の様々な宗教、慣習に触れている。
日常生活に密着したクラス展開により、日本ではTrue nature軽井沢や朝
食フェス、Dressヨガ部などのイベント出演、オフィスヨガやコラム掲載
も多く担当。
久しぶりの日本で感じたこと|溝畑諒子のヨガライフinドバイ(10)
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